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名古屋高等裁判所 昭和28年(う)140号 判決

控訴人 原審検察官

被告人 川原妙 外五名

弁護人 黒河衛 外三名

検察官 高橋雅男

主文

一、原判決中、被告人川原妙の関係部分但し原判示第一及び第二の点並びに被告人鈴木勇の関係部分但し判示第一の点を破棄する。

被告人川原妙を原判示第一及び第二の事実につき懲役八年に処する。

被告人鈴木勇を原判示第一の事実につき懲役四年に処する。

二、被告人川原妙、同都築徳三郎、同鈴木勇の各控訴並びに検察官の被告人中村秀雄、同鈴木菅治、同間瀬一男に対する各控訴及び被告人川原妙に対する原判示第三の点に関する控訴、被告人鈴木勇に対する原判示第五の点に関する控訴は、いずれも、これを棄却する。

三、訴訟費用中、原審において証人戸田光雄、同都築弘之、同川原美代、同二村正治、同杉浦悟、同枝川孝、同星野尚、同松井信次、同鈴木正郎に支給した分は、被告人川原妙、同鈴木勇の負担とし、証人杉浦鍬太郎、同山崎保、同高須豊吉、同神森良三、同臼井卯兵、同市川保に支給した分は、被告人川原妙と相被告人都築徳三郎の負担とし、証人服部辰已、同小出幸一に支給した分は、被告人川原妙と原審相被告人大西等の負担とし、当審において証人神森良三、同星野尚に支給した分は、被告人都築徳三郎の負担とし、国選弁護人天羽智房に支給した分は、被告人鈴木勇の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人川原妙、同中村秀雄、同鈴木菅治、同鈴木勇、同間瀬一男につき原審検察官池永博の、被告人川原妙につき弁護人黒河衛の、同鈴木勇につき弁護人平野安兵衛の、同都築徳三郎につき被告人本人並びに弁護人黒河衛、同天羽智房、同大野憲光の、各控訴趣意書記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、被告人川原妙、同間瀬一男につき弁護人黒河衛の、同中村秀雄、同鈴木菅治につき弁護人大野憲光の各答弁書記載のとおりであるから、いずれも、ここに引用する。

弁護人黒河衛の被告人川原妙に関する控訴趣意第一の(一)並びに弁護人平野安兵衛の控訴趣意第一点について。(被告人川原妙、同鈴木勇の原判示第一の関係分)

論旨は、被告人川原妙及び同鈴木勇に関する原判示第一の放火の点に、事実の誤認があるというにある。しかし、原審並びに当審において取り調べた証拠に現われた事実により、原判示事実は優に認定するに足り、事実の誤認がない。

即ち、原判決の関係部分挙示の証拠に、被告人鈴木勇の検察官に対する昭和二十六年十一月一日附、同月二日附供述調書、間瀬一男、犬塚正、米津篠松の各検察官に対する供述調書、原審の証人松井信治、戸田光雄、都築弘之に対する各証人尋問調書、被告人川原妙、同鈴木勇の当公廷における供述等を綜合すれば、被告人川原妙は、判示会社の取締役社長として同会社を主宰していたところ、建設資金の借入や油の横流しによつて運営して来たがため、昭和二十三年十一月頃に至り、農家及び油糧配給公団への還元、供出用油が、ドラム缶で五十五本位の不足を来した。そこえ同年十二月には、公団より出荷命令が出される気配があつたので、方々に油の融通方を依頼して見たが、その方策が樹たぬところから、工場に放火してこれを焼燬し、保険金を取得して工場の再建をはかる一方、これを口実にして、油の還元、供出の責を免れようと決意し、同年十一月九日頃、従前よりの工場の火災保険契約百五十万円の外に四百万円の火災保険契約を結んだ上、同年十一月二十日頃自己の腹心の部下である被告人鈴木勇に、これを打ち明けて、放火の実行方を依頼すると共に、会社手持ちの油を他に隠匿すべきことを指示した。被告人鈴木勇は、社長の右の依頼を引き受けて、同年十二月一日頃会社手持ちの油ドラム缶十四本を急遽碧海郡明治村の米津篠松方に移動隠匿した。被告人川原妙は、放火の段取りを整えた上、失火を仮装するために、同年十二月二日夜上京し、その不在中に出火せしむべく、当日の宿直員間瀬一男には川原の家より火鉢を事務室(一部宿直室)に持ち込んだ上、宿直員犬塚正と共に外出するよう命じ、被告人鈴木勇には、当夜の宿直員が外出不在中に事務室にボロ布に点火して菜種叺や空叺に点火するように指示した。そして被告人川原妙は、同年十二月二日昼過頃、工場内の倉庫の空ドラム缶十本位にバケツで油を注ぎ廻り、会社手持の油が多量に焼失したように装う準備をした上、同夜七時頃妻子を連れて東京に向けて出発した。当夜の宿直員間瀬一男は、社長宅で夕食をなし、同所土間にあつた煉炭火鉢を事務所通路に持ち込み、その上に薪を置いて焚火をし、その火が燃え切つた頃同夜九時過頃、犬塚正を連れ出して街に遊びに出た。火鉢は、事務室の土間の机より一、二尺、反対の空叺より二、三尺離れたところに置き、出かけるときには、煉炭の火が消えかけており、焚火も附近に落ちたようなことがなく消えていた。被告人鈴木勇は、同夜十二時頃工場に行き、宿直員の不在中に工場内事務室に入り、被告人川原妙に指示されたとおり、附近に落ちていた油のしみたボロ布五、六切れを両手に一杯位(目方にして百五十匁位か二百匁位)を集めて、集積してある空叺にくつつけて置き、燐寸で点火して逃げ帰つた。放火した後通路に煉炭火鉢があつたのを認めたが、煉炭の火は穴が一つか二つ火が残つて赤くなつていた程度で、その上に燃え残りの薪が四、五本あるのを見た。そして、工場より四、五丁離れた自宅に帰つて寝て、五分か十分位過ぎた頃サイレンが鳴つた。この放火によつて、工場から出火したのは午前零時過頃で、近隣の都築弘之が、パチパチという音に驚き、駈けつけたときは、工場が火の海であつて、道路側から反対側に燃えていた事実が認められる。この事実に徴すれば、煉炭火鉢に間瀬一男等が焚火をした火の不始末によるものでなく、全く、被告人鈴木勇の放火に原因することが明認される。間瀬一男等が外出したのは、同夜九時か九時半頃で、被告人鈴木勇が同所に立ち越して放火したのが午後十二時頃であり、その時同人は何の異状も認めず、煉炭火鉢の残火を現認しているのである。油工場であるから火気があれば瞬時にして炎上する筈であるのに、午後九時か九時半頃間瀬等が外出した後、被告人鈴木勇が同所に立ち越して放火した午後十二時頃迄の間、間瀬等の焚火の不始末によつて散逸した火が約三時間も炎上せずに燻つているとは経験則上考えられない。間瀬等の失火でないことは、どの角度から見ても明白である。その他、所論の如き失火と認むべき資料は何処にも存在しない。

論旨は到底採用できない。

弁護人黒河衛の被告人川原妙に関する控訴趣意第一の(二)は、同被告人に関する原判示第三の公正証書原本不実記載の事実誤認を主張するものであるが、この点に関しては、同被告人より控訴の申立がないので、本控訴趣意は不適法であり、判断をなす限りではない。

同弁護人の同控訴趣意第三点について。(被告人川原妙の原判示第二の関係分)

論旨は、被告人川原妙に関する原判示第二において、同被告人及び被告人都築徳三郎両名につき詐欺の事実を摘示したのみで、その間に共謀の事実を示さず従つて、単独犯行と認定したものというべきに、その法令の適用において、刑法第六十条を適用した。これは原判決に理由のくいちがいがあることになるというのである。

しかし、同判文自体から、両名が共同加工した事実が読み取られるばかりでなく、原判決挙示の証拠により、両名共謀の事実が認められるので、原判決には、理由のくいちがいはない。判文に、共同加工の事実を摘示し、共謀なることが明瞭である以上、必しも、共謀なる文言を入れるを要しないと解する。

従つて、この点の論旨も理由がない。

弁護人黒河衛の被告人都築徳三郎に関する控訴趣意第一、第三、弁護人大野憲光の控訴趣意第一、二点、弁護人天羽智房の控訴趣意第一乃至第四及び被告人都築徳三郎の控訴趣意について。(被告人都築徳三郎の原判示第二の関係分)

以上の控訴趣意は、いずれも、被告人都築徳三郎に関する原判示第二の詐欺の点に事実の誤認があるという点において、共通する。その外の論点は、弁護人黒河衛は、原判決は、被告人川原妙と同都築徳三郎両名が共謀した事実を認定しないで、刑法第六十条の共謀の法条を適用した違法があり、即ち、判決に理由のくいちがいがある。弁護人天羽智房は、被告人都築徳三郎の所為は、所謂期待可能性がない場合に該当し、法律上犯罪の成立を妨ぐべき理由の主張をなしたに拘らず、原判決は、これに対し、刑事訴訟法第三百三十五条第二項所定の判断を示さないから、訴訟手読の法令違背がある。更に、同事実認定の資料として、被告人都築徳三郎の検察官に対する第一、二回供述調書を挙示しているが、同調書は、任意にされたものでない疑のある自白であるから、原判決には採証の法則を誤つた訴訟手続の法令違背がある。また、原判示第二に、単独犯か共犯かを記載せず、適条において刑法第六十条を引用したことは理由不備と理由のくいちがいがある。被告人都築徳三郎は、原判決が採証した検察官に対する供述調書の任意性を争うというのである。

以下、これについての判断を示す。

事実誤認の論点が二つある。一は、弁護人大野憲光と被告人都築徳三郎の控訴趣意中の論点であつて、本件は、間瀬一男、犬塚正両名の焚火の不始末による失火で、被告人鈴木勇の放火によるものでないから、被告人都築徳三郎に、詐欺罪は成立しない。他は、各控訴趣意に共通する論点で、被告人鈴木勇の放火に因るとしても、被告人都築徳三郎は、これを認識せず、失火と信じて保険金を受領したのであるから、詐欺とならない、というのである。

前段については、本件の出火が、被告人鈴木勇の放火に因ることが前説示のとおり明白であるから、失火を前提とする事実誤認の主張を容るる余地がない。

後段の事実誤認の論点については、原審並びに当審において取り調べた証拠に現われた事実に徴し、原判示第二の事実を認定することができるので、原判決には、事実の誤認がないと言はねばならね。即ち、古谷翹の検察官に対する第一、二回供述調書、被告人川原妙の司法警察員に対する第四回供述調書、同人の検察官に対する第二回供述調書、被告人都築徳三郎の司法警察員に対する第一、三回供述調書、原審の証人戸田光雄、同古谷翹、同神森良三に対する各証人尋問調書、当審の証人神森良三、同古谷翹に対する各証人尋問調書等に原判決挙示の証拠を綜合すると、被告人都築徳三郎は、被告人川原妙が、油を横流したため、農家、公団への還元油に支障を来し、公団に納期を延期して貰うか、他から融通を受けて納入しようと画策したが、いずれも成功せず、昭和二十三年十二月中に公団に納入しなければならぬ状勢となり、若し、納入しなければ、横流しが発覚して、県より作業を禁止されるので、非常に苦慮していたのを承知していた。その頃、同年十一月上旬、川原より右の苦衷を訴えられ、一層のこと工場を焼いて証拠をなくして仕舞うより仕方がないと放火の決意を打ち明けられ、更に、火災保険に百五十万円加入しているだけだから、もつと保険に加入して置こうじやないかと相談をかけられた。これに対し、都築は、放火の点については強いて反対せず、「私には私の考えがある」と答え、保険増額の点に対しては、代理店が評判が悪いと反対したのみで、増額については、意見を述べなかつた。一方川原は、会社の会計係をしていた古谷翹に対しても、油が足りないから一層のこと工場を焼いてやろうかと冗談らしく言つたことがあり、古谷は、保険金四百万円を増額したことを知つて、その当時、同居している都築に、これを話した。そして古谷が同年十二月三日払暁火事現場に駈けつけるとき、都築より、余計なことを言うなと念を押され、同月四日朝東京から帰つた川原を岡崎駅に出迎えてバスで帰る途中、同人から自分が若い者をして放火せしめた旨を告げられ、数日後自宅で都築に川原の言を伝えたところ、都築は「フーン」と肯いていた。火災当夜都築は、現場で警察署長神森良三に対し、火災の原因をよく調べてくれと申し出で、更に同年十二月四日頃警察署においても同様のことを申し述べているが、火災一週間位前に油が十四、五本不足しているので、川原が何処かえ運ばせたことを知悉し、焼跡のドラム缶が少いと感じたに拘らず、これらの事実を告げないばかりでなく、放火の疑があること、ましてや、川原が前に会社の窮状を脱するために放火すると言つたことは全然秘していた。もし、被告人都築よりこれ等の事実について片言でも申述があれば、警察の捜査が他の方面に進展し、根本的に捜査が遂げられた筈であつた。保険会社の調査員が同月三日焼跡調査に来た際、自分の考えでは当直者の火鉢の不始末ではないかと思うと述べ、保険会社との保険金の折衝に自ら当り、同月四日、神森署長より失火らしいとの言質を得て、これを保険会社側に伝え、会社の査定額が三百二十万円位であつたのを保険協会に折衝して四百二十万円に決定して貰つて、これを受領した事実が認められる。

右認定の事実から判断すれば、被告人都築徳三郎が、本件の出火が川原等の放火に因るものなることを知りながら、被告人川原妙と共謀の上、保険会社に対して、保険金の折衝をして、これを受領したことが認められる。

所論摘録引用の証拠は、前記証拠の一班を採り上げこれを強調するのみで、全班から見れば、前説示のとおり認定するのを相当とする。従つて、原判決には、事実の誤認がない。

弁護人天羽智房の所論中、期待可能性がないから、罪とならないとの論点について考えるに、本件は、前段認定の事実に照し期待可能性の論議を容れる余地がない。そして、所論は、期待可能性がないというが、その主張は、結局、犯意の否認に止まるから、これに対する判断を示す要がなく、示しようもない。原判決が、同様に解して、期待可能性の主張についての判断を示さなかつたのは、相当であり、刑事訴訟法第三百三十五条第二項の違背は、存しない。

次に、原判決が、本件認定の資料として挙示した被告人都築徳三郎の検察官に対する第一、二回供述調書は、任意にされたものでない疑のある自白であるとの論点については、前段認定の事実と同調書の記載内容とを比較検討すると、同調書の供述が任意にされたものでないとの疑を、全然持ち得ない。更に、原審第九回公判調書中被告人都築徳三郎の供述記載(百四十三問答以下)によつて見ると、任意の供述であることが、明瞭に窺われる。従つて、原判決には、採証の法則に違背した違法がない。

最後に、刑法第六十条を適用した法令適用の誤があるとの論点については、既に、被告人川原妙に関する同趣旨の論点に関して説示したとおり、違法とするに足りないから、採用できない。

よつて、各論旨は、いずれも、理由がないことに帰する。

検察官の控訴趣意第二点、弁護人黒河衛の被告人川原妙に関する控訴趣意第二、弁護人平野安兵衛の被告人鈴木勇に関する控訴趣意第二点、被告人都築徳三郎に関する弁護人黒河衛の控訴趣意第二、弁護人大野憲光の控訴趣意第三点、弁護人天羽智房の控訴趣意第五について。

論旨は、検察官は、被告人川原妙に対する原審の量刑並びに被告人鈴木勇に対する放火罪についての原審の量刑が軽きに失し不当であると言い、これに対し、被告人川原妙の弁護人黒河衛は、放火並びに詐欺罪につき、被告人鈴木勇の弁護人平野安兵衛は、放火並びに詐欺罪につき、原審の量刑が重きに過ぎ不当であるというのである。そして、被告人都築徳三郎の弁護人黒河衛、同大野憲光、同天羽智房は、いずれも、同被告人に対する原審の量刑が重きに過ぎる、刑の執行を猶予すべき情状があるというにある。

よつて、先ず、被告人川原妙、同鈴木勇に対する放火の量刑について考察する。

本件放火の動機を見るに、被告人川原妙は、油の横流しにより農家並びに公団に対する還元、供出が不能となつたのを隠蔽し、更に、多額の保険金を詐取しようとの目的をもつてした悪質のものである。放火の手段は巧妙を極め、手持ち油を疎開し、火災保険契約を四百万円増額した上、工場内の空ドラム缶に油を撒布して多量の油を焼失した如く仕做し、自己の腹心の部下である被告人鈴木勇に放火の実行行為を担当せしめ、宿直員の火の不始末に因る如く当夜の宿直員に火鉢を工場内に持ち込ましめて、途中で外出するよう手筈をきめ、自らは妻子を連れて上京し、その不在中に放火せしめた。被告人鈴木勇は、被告人川原妙の依頼により、右の事情を諒知しながら、放火の実行行為を引き受け、油の疎開を自らの手でなした上、川原の指示どおり放火を敢行して、本件の大事を惹起するに至つたものである。

右の事実は、前示認定事実自体から明瞭である。

本件の場所が郊外で、他の建物が点在し、天候が平穏であつたため、幸に、工場と被告人川原妙の住宅を焼失したに止つたとはいえ木造建物を主体とするわが国において、一度火を発するときは、その惨害の及ぶところ予測し難く、公共危険の及ぶところ測り知れないものがある。被告人等は、全く、自己の私利私慾のために貴重な物資を灰燼に帰せしむると共に、右の如き危険状態を現出し、近隣の人々を不安と焦燥に陥れた責任は、決して、軽く看過することは許されない。相当の厳罰をもつて臨む要がある。その他、諸般の情状を勘案すれば、弁護人等の所論を斟酌しても、原審の刑は軽きに過ぎるものと認める。

更に被告人川原妙は、被告人都築徳三郎と共謀の上、警察の捜査が失火の方向をたどり、失火と断定されるや、奇貨措くべからずとして、保険会社と折衝の上、多額の保険金四百二十万円を詐欺したのであるから、その責任は、ますます重きを加える。

されば、原審が、被告人川原妙に対し懲役六年、被告人鈴木勇に対し、放火の事実につき懲役三年に量定したのは、刑が軽きに過ぎ不当である。到底破棄を免れない。

次に、被告人鈴木勇に対する詐欺の点に関する弁護人の量刑不当の論点について見るに、犯罪の動機、手口、回数、数量、その他諸般の情状を考察すれば、原審の刑が重きに過ぎるとは認められない。結局、被告人川原妙に対する検察官の論旨は理由があり、弁護人の論旨は理由がない。また、被告人鈴木勇に対する放火の点(原判示第一事実)に関する検察官の論旨は理由があり、弁護人の論旨は理由がなく、同人に対する詐欺の点(原判示第五事実)に関する弁護人の論旨は理由がないことになる。

又、被告人都築徳三郎に対する量刑について考察すると、同被告人は、放火の事実を諒知しながら、警察の捜査が失火の方向に進展しつつあるに対して、自己の見聞せる事実を提供することなく、唯よく原因を調べてくれと申し述べ、警察が失火と断ずるや、これを奇貨として、保険会社に折衝して多額の保険金詐取に成功したことは、前示の同被告人に関する事実認定において縷述したとおりである。されば、同被告人の刑事責任も亦軽からざるものがある。

原審判決後、昭和二十七年十一月二十一日名古屋地方裁判所において、保険金返還請求事件につき、同被告人が保険会社側と和解をなし、自己の責任分として、安田火災に対し金十六万七千百二十一円、共栄火災に対し金五万二千八百七十九円の支払を約し、昭和三十年十月までにその全額の支払を了した事実は、本件記録によつて認められるが、結局弁償は、被害金額の一小部分に過ぎないから、未だ、原審の量刑を変更し、刑の執行を猶予すべき情状となし難い。その他、各弁護人所論の事情を参酌しても、原審の刑が重きに過ぎるとは認められないから、論旨は、いずれも理由がない。

検察官の控訴趣意第一点について。

論旨は、被告人中村秀雄、同鈴木菅治に対する本件公訴事実につき、原審が無罪の言渡しをなしたのは事実の誤認であるというにある。

よつて記録を閲するに、被告人両名に対する公訴事実は、両名が、昭和二十三年十二月一日頃一色町字天神町所在キリン食堂二階座敷において、被告人川原妙、同鈴木勇等と会合し、被告人川原より保有菜種油横流しの実情を訴え、之が打開策として工場に放火する決意を打ち明けられて、放火の謀議を遂げ、茲に四名共謀の上、被告人鈴木勇がその実行を担当し、同被告人は、右謀議に基き、同年十二月三日午前零時頃同工場内西北隅の空叺の堆積してある箇所に油の滲みたボロ布二百匁位を置き之にマツチを以て放火し、右空叺に燃え移らしめて、右工場建物四棟(建坪合計九十八坪)を焼燬したというにあつて、原審が、所論の理由で無罪の言渡しをしたことが明らかである。

よつて、原審並びに当審において取り調べた証拠によつて、右公訴事実を検討する。

先ず、被告人両名が、被告人川原妙、同鈴木勇の本件放火に、どの程度の関係を持つたかを見るに、被告人川原妙、同鈴木勇の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、同人等の原審並びに当公廷における各供述、被告人中村秀雄、同鈴木菅治の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、同人等の原審並びに当公廷における各供述等を綜合すると、被告人中村秀雄は、昭和二十二年七月頃被告人川原妙と共同で、菜種の依託搾油を初めて儲けたので、相談の上、昭和二十三年四月頃から会社設立を計画し、被告人鈴木菅治その他の参加を得て、同年九月三日一色町大字味浜字北乾地四十七番地に大洋製油株式会社を創立し、川原妙が社長、被告人中村秀雄、同鈴木菅治が取締役に就任した。そして、同会社の運営には、主として川原が当り、被告人中村秀雄は、同工場で労働に従事し、被告人鈴木菅治は、時折り会社に顔を出す程度であつたところ、被告人中村秀雄は、昭和二十三年十一月二十四日頃、川原より会社の手持油が不足していることを告げられ、更に同月二十八日頃どう調べても足らぬ、公団に供出、農家に還元する分五十本位不足だ、不足したのは自分の不徳のいたすところだから一人で責任を負う、工場を焼いて、油が焼失したようにすると告げられた。そして、同年十二月一日頃川原より、キリン食堂二階に、被告人中村秀雄、同鈴木菅治、同鈴木勇等が、招致された席上で、同人より会社の業態が苦境にあり、工場を焼くより方法がないと告げられ、これに対し、被告人中村秀雄は、半焼けになつたら証拠が残り困るではないか、キリン食堂で会合したことが警察に判ればどうするかと反問し、鈴木勇に対しては、後で疑を受けるがそれでもやるかと尋ねて一応反対の態度を見せた程度で、川原、鈴木勇両名に対し、放火の計画を思い止らしめるような強い反対の態度を示さず、被告人鈴木菅治は、キリン食堂階段上り口で、川原より初めて油が足らんから工場を焼くと言われ、驚いてこれに反対し、同二階においても、川原に対し、工場を焼くことに反対したが、同人に放火を思い止めさすべく努力せず、鈴木勇に対しては、何も告げなかつた事実が認められる。これ以上、被告人両名が、被告人川原妙、同鈴木勇の放火に関与した事実を認むるに足る資料がない。尤も、被告人中村秀雄が、同年十一月末頃鈴木勇より、鈴木菅治宅に油を二十本運んで置けとの川原の伝言を伝えられたがこれを拒絶した後、翌十二月一日頃川原妙、鈴木勇、間瀬一男等が工場でドラム缶に油を詰めているのを見て、同人等の放火が近いことを知つた旨の供述があるが、同被告人の内心的のものに止り、本件放火に関与した資料とはならない。

右認定の事実をもつて、検察官は、被告人両名が、被告人川原妙、同鈴木勇の放火に共同正犯として加工したものであるというのである。

惟うに、共同正犯は、意思の共同と行為の共同とを要し、自ら犯行に加工しない場合には、少くとも、他人をして自己の犯意を実現せしめんとする意思を要し、実行行為担当者においても、他の加担者の犯意を実現せんとする認識が必要である。即ち、共同者相互間の意思共同を最小限の要件とする。本件について、これを見るに、被告人中村秀雄、同鈴木菅治が相被告人川原妙、同鈴木勇の本件放火の実行行為に加担していないことは、前認定のとおり、要は、相被告人川原妙から放火の決意を告げられ、これを聞き流し、或は進んで川原の放火行為を阻止しなかつたことが、放火についての共同意思を認め得るかの問題である。

本件証拠からは、未だ、本件放火についての共同意思を認め得ざるものとする。

取締役の地位にある被告人両名が、社長たる被告人川原妙より工場放火の決意を打ち明けられたのであるから、無縁の第三者がこれを聞いた場合とは、多少色合が異るけれども、打ち明けられたというだけで更につき進んだ証拠がない本件においては、被告人両名が工場焼燬の決意を有したものとは認め難く、ましてや、自己の決意を、被告人川原妙、同鈴木勇を通じて実現せんとしたとは言えない。換言すれば、被告人両名には、工場放火の犯意がなく、被告人川原妙、同鈴木勇の行動を通じてこれを実現せんとした共同意思が存しないと言うべきである。勿論、両名は、川原妙から工場焼燬の計画を打ち明けられ、同人の日頃の言動、性格から見て、同人が放火を決行するかも知れないと考えたのであろうが、これのみでは、道義上の責任は別として、放火罪の通謀と言うには足らず、同人の行為を容認したとも言い難い。被告人両名は、被告人川原妙の放火を予測したが、それ以上一歩も前進せず、意思を共同にした域に達したと認め得る証拠がない。

被告人鈴木勇の供述に、昭和二十三年十二月一日キリン食堂で、被告人川原妙、同中村秀雄、同鈴木菅治三人より「お前を男と見込んで頼むが、工場に一つ火を放けてくれ」と依頼された旨の部分があるが、前記証拠に照して考えると、三人から頼まれたとの点は採用し難く、川原妙から頼まれ、他の二人が黙していたと見るのが相当である。又キリン食堂で、川原妙より右のことを依頼されたとき、自分は、三人が既に放火の打ち合せが済んでいたものと思つた旨の部分については、鈴木勇が自己の見解を述べたに過ぎず、これに添う証拠が他にないので、共謀の事実認定の資料となし得ない。

被告人中村秀雄の司法警察員及び検察官に対する各供述調書中に、その供述として、川原が工場を焼くと言う限り焼くだろう。川原にやらせておけば、何とかなる。私達も彼の意図に従う結果となつた等随所に、供述者の意見又は内心を吐露した記載があるが、前記認定に照らして、右記載を以て、同被告人に放火の犯意があり、これを川原妙を通じて実現せんとしたものとまでは認められないので、共謀の事実を認定する資料としては足りない。

従つて、被告人中村秀雄、同鈴木菅治に対し、本件公訴事実記載の放火の共同正犯の責を帰せしむることができない。

尚、前段の証拠関係から、被告人中村秀雄、同鈴木菅治は、被告人川原妙、同鈴木勇の放火行為を幇助した刑事責任がないか、所謂会社の取締役の地位にある被告人等は、会社から公共危険を発生することを阻止する義務があり、社長が放火の決意を打ち明けたのに対し、これを阻止しなかつたのは、放火の幇助に該らないかの問題を吟味するを要する。成程、会社に無関係の者が、社長川原妙から工場放火の決意を打ち明けられた場合と異り、会社の枢機に参与する重役たる被告人等が、社長より工場放火の決意を打ち開けられた場合であるから、万全の力を致して、これを阻止すべき責任があるは当然である。しかし、これは、道義上の責任であつて、これを超えた法律上の責任と観念するを得ない。現に危険が差し迫り、例えば、現に放火行為に着手せんとした場面に遭遇して、これを阻止する挙に出ない場合であれば、幇助をもつて論ずることも強ち無理とは言えないが、本件の如く、決意を打ち明けられたに止り、具体的に何時如何なる方法で放火するか、或は、放火そのものを決行するかどうかも定かでない場合にまで、被告人等にこれを阻止すべき法律上の義務を認めるのは、無理であり、これを阻止する方法がないからである。被告人川原妙の放火の意見に対し、沈黙し、或は反対した被告人等の行動は、道義上の責任はともあれ、法律上の責任を帰せしむることはできない。

右の如く、被告人中村秀雄、同鈴木菅治に対する本件公訴は、犯罪の証明がないから無罪を言い渡すべきである。これと同趣に出でた原判決は相当であり、検察官の論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第三点について。

論旨は、被告人間瀬一男に対する本件放火幇助罪につき免訴を言い渡した原判決は、法令の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

本件記録によつて見るに、被告人間瀬一男に対する公訴事実は、被告人川原妙、同鈴木勇等が本件工場に放火するに際り、昭和二十三年十二月二日夜間工場の宿直員であつたが、川原妙より当夜の放火の計画を打ち明けられて、当夜情を知らない宿直員犬塚正を放火現場である同工場から誘い出して遊興するよう命ぜられるや、その情を知りながら、右犬塚正を伴つて同夜工場を抜け出し、鈴木勇の放火を容易ならしめ、以つて幇助したというのであり、原審は、これに対し同被告人は、昭和二十四年十二月八日西尾簡易裁判所において、本件工場の出火に関し、失火罪により罰金千円の判決を受け当時右判決が確定しているとの理由で、免訴の言い渡しをなしたのである。

これに対し、所論は、両者の公訴事実には、同一性がないのに、本件幇助の公訴事実に対し、免訴を言い渡したのは、不当であるというのである。

よつて、間瀬一男に対する確定裁判の失火罪の公訴事実を見るに、「被告人間瀬一男、犬塚正の両名は、いずれも幡豆郡一色町大字味浜字北乾地四十七番地大洋製油株式会社の工員であつて、昭和二十三年十二月二日夜共同して宿直勤務中、右会社工場事務室において、同夜九時頃から煉炭火鉢(口径高さ各一、五尺位)に多量の木片及び木炭を使用して暖をとつていたのであるが、その際数回飛火した事例もあり且現場はその火鉢に接近して菜種入叺、書類、用紙、帳簿、ボロ布、菜種油充満の無蓋ドラム缶油等各種多量の可燃物が存置してあり、斯かる場所においては、火気の使用について飛火等防止のため適切な措置を講じ、以つて火災を未然に防止すべき注意義務があつたのに拘らず、被告人両名は、不注意にも、同夜十時頃右火鉢の火気を始末せずその侭放置して外出した為、同残火の飛火により、同夜十二時頃前記可燃物に燃え移り発火するところとなり、右会社所有の木造杉皮葺平屋建工場四棟(九十八坪の建物)を焼燬したものである」というのであるから、本件公訴にかかる放火による工場焼燬の事実と社会的、歴史的事実が同一であることが明らかである。

検察官は、「工場焼燬」と「被告人」が同一であるのみでは、公訴事実の基本的事実関係が同一であると言い得ない。更に工場焼燬の原因が社会観念上同一でなければならぬ。即ち、行為自体が同一でなければならぬ。本件の場合、失火の罪は、火鉢の火の不始末を原因とし、本件の放火幇助は、鈴木勇の放火の情を知りながら、宿直員を連れ出して放火行為を容易ならしめて放火せしめた行為を指し、両者の行為の間には全然同一性がなく、日時場所を異にするから、基本的事実関係を異にするというが、本件のような失火と放火幇助との間に、行為の同一、不同一を論議することそれ自体が無理である。

本件の場合は、被告人が同一であり、社会的、歴史的事実が同一である以上、基本的事実関係は同一であり、公訴事実が同一性であると言うべきである。従つて、本件工場の焼燬について、被告人間瀬一男が既に失火罪により処罰せられ確定している限り、重ねて、同一工場焼燬の事実につき、放火幇助罪によつて処罰し得ざるは当然である。従つて本件公訴は、不適法と言わねばならぬ。英、米法が、「二重の危険」として、刑事訴訟法上、最も禁忌するところは、これであり、わが憲法第三十九条が宣明するところも、これに属する。

即ち、国家機関によつて一度審判せられ、国家意思が表明された限りは、同一の社会的、歴史的事実について、再び責任を問わないことが、刑事裁判における共通の鉄則である。

検察官は、もし、原審の如く解すれば、放火犯が失火を装い失火罪によつて罰金刑を確定せしめたときは、その後放火なることが確実に証明される証拠が出て来ても、最早放火罪として起訴し処罰し得ざるにいたるであろう、社会感情上果して許されるか、断じて許されないと、慨嘆するが、所論は、犯罪捜査の拙劣に因る結果であつて、それあるがために、刑事訴訟法上の基本的鉄則を動かすことは許されない。それ以上に重大な問題だからである。

されば、原審が本件に対し免訴を言い渡したのは、相当であつて、検察官の論旨は理由がない。

以上の次第で、検察官の被告人川原妙に対する原判示第一の放火及び同第二の詐欺の事実に関する控訴、被告人鈴木勇に対する原判示第一の放火の事実に関する控訴は、いずれも理由があるから、刑事訴訟法第三百九十七条第一項第三百八十一条に従い、原判決中、被告人川原妙及び同鈴木勇に対する右関係部分を各破棄する。検察官の被告人川原妙及び同鈴木勇に対する控訴の申立は、同被告人等に関する原判決の全部に対してなされたものと認められるのであるが、被告人川原妙に関する原判示第三の公正証書原本不実記載並びに同鈴木勇に関する原判示第五の詐欺に関する部分は、同被告人等に対する右破棄の関係部分と区別されて、別個の裁判の部分と認めることができるのであり、この部分の控訴については、検察官の控訴趣意書において、控訴の理由が主張されていないので、同法第三百八十六条第一項第一号に準じて、控訴を棄却するものとする。被告人川原妙、同鈴木勇、同都築徳三郎の各控訴、被告人中村秀雄、同鈴木菅治、同間瀬一男に対する検察官の各控訴は、いずれも、理由がないから、同法第三百九十六条に従つて、これを棄却する。

原判決を破棄した被告人川原妙、同鈴木勇の関係部分につき、同法第四百条但し書によつて、自判する。

原審の確定した右関係事実に法令の適用を示すと、被告人川原妙の判示第一の点は刑法第六十条第百八条に、第二の点は各同法第六十条第二百四十六条第一項に夫々該当するところ、判示第二の罪は一個の行為により数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五十四条第一項前段第十条により、犯情の重い安田火災に対する詐欺の罪の刑を以て処断し、以上は、同法第四十五条前段の併合罪であるから、判示第一の罪に有期懲役刑を選択し、同法第四十七条第十条に則り、重い前者の刑に法定の加重をなし、同法第十四条の制限に従つて、同被告人を懲役八年に処し、被告人鈴木勇の判示第一の点は、刑法第六十条第百八条に該当し、原判示の確定裁判と同法第四十五条後段の併合罪の関係があるから同法第五十条により確定裁判を経ない本件の罪につき更に処断すべく、所定刑中有期懲役刑を選択し、犯罪の情状憫諒すべきものがあるから、同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号に従つて、酌量減軽をなした範囲内で、同被告人を懲役四年に処する。そして、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り、主文末項の如く、原審並びに当審における訴訟費用の負担を定めた。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋嘉平 裁判官 大友要助 裁判官 石田恵一)

検察官池永博の控訴趣意

第三点法令の解釈適用の誤謬

被告人間瀬一男が昭和二十四年十二月八日西尾簡易裁判所に於て本件工場出火に関し失火罪により罰金千円の判決言渡を受け当時右刑が確定していることは前科調書上明らかである。案ずるに原審は右失火事件と本件放火幇助事件とは公訴事実の同一性ありと為し一事不再理の原理に基き免訴の言渡しを為したものと思われる。然し失火の判決事実は、「被告人犬塚正、間瀬一男の両名は孰れも幡豆郡一色町大字味浜字北乾地四七番地大洋製油株式会社の工員であつて昭和二十三年十二月二日夜共同して宿直勤務中右会社工場事務室において同夜九時頃から煉炭火鉢(口径高さ各一、五尺位)に多量の木片及び木炭を使用して暖をとつていたのであるがその際数回飛火した事例もあり且つ現場はその火鉢に接近して菜種入叺、書類、用紙、帳簿、ボロ布、菜種油充満の無蓋ドラム罐油等各種多量の可燃物が存置してあり斯る場所において火気の使用について飛火等防止のため適切な措置を講じ以て火災を未然に防止すべき注意義務があつたのに拘らず被告人両名は不注意にも同夜十時頃右火鉢の火気を始末せずその侭放置して外出した為同残火の飛火により同夜十二時頃前記可燃物に燃え移り発火するところとなり右会社所有の木造杉皮葺平屋建工場四棟(九十八坪の建物)を焼燬したものである」とあり、之に対し本件公訴事実は、「被告人間瀬一男は同月二日夜同工場宿直員であつたが同日相被告人川原妙より当夜の放火の計画を打明けられて当夜情を知らない同係の宿直員犬塚正を放火現場である同工場から誘い出して遊興する様命ぜられるやその情を知り乍ら右犬塚正を伴つて同夜工場を抜け出し前記鈴木勇の放火を容易ならしめ以て幇助したもの」である。

今両者の公訴事実を比較検討するに果して原審判示の如く新刑事訴訟法上彼此同一性を有すると断定出来るであろうか。抑々犯罪事実が同一性を保つためにはその基本的事実関係が同一なることを要することは従来の通説であり判例であるが問題は基本的事実関係の範囲如何である。即ちこれを本件について考察するに前記の失火と放火とを比較するに被告人が同一であり且結果的現象であるところの本件「工場の焼燬」という事実関係が同一であることは間違いないが果して之れ丈けで基本的事実関係が同一であると謂うことが出来るであろうか。右の二つの事実の外に工場の焼燬の原因となつた行為が社会観念上同一でなければいけないのではないか。元来犯罪の最も基本的な事実関係は行為自体であるべきである。此のことは本件失火と放火の同一性を勘案する場合に遺脱することは出来ない。換言すれば此の場合においても被告人の行為関係は所謂基本的事実関係なのである。同じく過失犯と故意犯との関係といつても、例えば野球のバツトを振つて居る時に過つて傍らに居る人の頭部に当り致死の結果を招来したという過失致死罪と故意に野球のバツトを以て其の人の頭部を殴打し因て死亡するに至らしめたという殺人犯とを比較するに右の場合はこの二個の行為は社会観念上同一性があると謂えるであろう。ところが本件失火の行為は前記の如く被告人が同夜宿直中十時頃同工場事務室にあつた煉炭火鉢の始末を怠り其の侭外出した為同工場を焼燬するに至らしめたというのであり他方本件放火の行為は相被告人鈴木勇が同夜午前零時頃同工場内西北隅の空叺の堆積してある箇所に油の滲みたボロ布二百匁位を置き之れにマツチを以て放火し遂に同工場を焼燬し被告人が之れを幇助したというのである。然らば右失火の行為と放火の行為とはその日時場所を異にするは勿論二つの行為の間には全然同一性がなく結局社会観念上二者間に同一性があることは聊かも認められないのである。従つて本件失火と放火との間には同一性がないと断ぜざるを得ない。憲法第三十九条後段に於て「同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない」と規定したのは以上の趣意に解すべきであり、原審が本件失火と放火に付て基本的事実関係の一部に過ぎないところの被告人と焼燬物の同一性から直に漫然と右失火と放火との間に同一性ありと判断したのは従来の通説と判例の趣旨を誤解したものと謂わなければならぬ。之れを更に他の角度から考察しよう。犯罪の同一性の問題に関する学説の中通説と判例に近い国藤重光氏の構成要件共通説(同氏著新刑事訴訟法綱要改訂版一〇九頁参照)によれば比較される二つの事実が構成要件的に全く重なり合う場合でなければ仮令前法律的な生活事実として一つのものであろうとも、事実の同一性を認めるべきでないというのであるが、此の観点に立てば本件失火と放火とは構成要件の中最も重要なる行為について全く重なり合つていないのであるから事実の同一性を認められないことは明らかである。尚之を他の観念から考覈するならば若し原審の判断が正しいとすれば今後放火をした犯人が失火を装うて失火罪の罰金刑を確定せしめさえすればその後放火なることが確実に証明される証拠が出て来ても最早放火罪として起訴し処罰することが出来なくなるであろう。憲法第三十九条後段の規定を頭に入れて考えても社会感情上斯様なことが果して許されるであろうか、断じて許されないこと明かである。本件は一般の過失犯と故意犯との関係と同列に扱うことが出来ないものがあるのである。原審の判断が社会感情乃至は社会正義の上から到底許されないのはこの社会感情の裏面に本件失火と放火との間に同一性を認めることが社会観念に反するものがあるからに外ならない。以上縷々説明した通りであるから結局原審が本件失火と放火との間にはその基本的事実関係において社会観念上同一性があると判断したのは法の解釈を誤つたものであり其の誤が判決に影響を及ぼすものなることは洵に明かである。仍つて原判決を破棄し相当の裁判あらんことを願う次第である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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